2011年12月28日水曜日

「男なら死ぬときは、例え溝の中でも前のめりに死にたい」の出典

友人の棚田君のFBのウォールに返事で書いたものなんですが、ちょっとおもしろかったので、あらためて整理しておきます。

「男なら死ぬときは、例え溝の中でも前のめりに死にたい」という言葉が坂本龍馬のことばだと一般的に思われており、これに対してWikiなどで、これは実は巨人の星で星一徹が坂本龍馬のことばとして引用する形で梶原一騎が創作したものだという説が展開されているようです。

しかし、梶原一騎がまったくのオリジナルで、こんなできの良いエピソードをつくるかなとちょっと気になったので、いろいろ調べると、やはり司馬遼太郎のようです。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の「旅と剣」の節に江戸留学から土佐へ帰る途中出会った 水戸藩の密使水原播磨介とのエピソードがあります。そこに、播磨介の死に際して、乙女姉から漢籍の素読をまなんだ経験のなかで感銘したことばとして、「志士ハ溝壑(こ うがく)ニアルヲ忘レズ、勇士ハソノ元(げん)ヲをウシナフヲ忘レズ」を思い出すシーンがあります(司馬遼太郎全集3のP272)。
「意味は、天下を救おうとする者は、自分の死体が将来溝や堀に捨てられて顧みられぬことをつねに想像し、勇気ある者は自分の首(元)が斬りすてられること をいつも覚悟している。そういう人物でなければ大事を行うことはできない、ということだ。」と司馬が続けて添えています。司馬は作品中では漢籍の出典は示していないのですが、この出典は孟子 滕文公章句下です。

このエピソードには「前のめりで」がないのですが、「溝で死ぬ」が共通します。産経の夕刊の連載が1962~1966。巨人の星の連載開始が1966です。『竜馬がゆく』のこのエピソードを梶原一騎が読んで、竜馬自身のことばとして書いたものが、ひとりあるきしてしまった可能性があるのではないかと思われます。

いずれにせよ、司馬遼太郎がこのエピソードを書くにあたって、なにか根拠にした、あるいはインスピレーションを湧かせた資料などがないか、気になるところです。