2012年10月9日火曜日

役にたつとかたたないとか

役に立つか立たないかという視点も
結局は、想定するタイムスパンの問題だと
理化学研究所の上田泰己さんが言っていて、
それに強い共感をおぼえたことがあります。

このような「彼岸」に立ったマクロなたちばでいえば、
医学で人のいのちがわずかに長らえたところで、
焼け石に水。役に立っているといってもそれは
ほんとうに役に立っているのかと疑問を呈することも
できます。




このような、ある種のニヒリズムに通じる態度で
私は、「役に立つ/立たない」の二項対立を
無意味化しようとしていました。

しかし、吉本隆明はこれを無意味化せずに意味づける
ヒントを残していました。

加藤典洋の吉本氏への追悼記事に書かれていたものです。

「人間は滅亡が近いよな、と悲観したくなるなかで、一つだけ
奇妙に希望を持てる確かなことがあるとすれば、それは
人間の平均寿命の「伸び」が「止ま」らないことだ」と
福島第一原発事故をきっかけにしたインタビューで吉本氏が述べられた。
その「平均寿命の伸び」が思想的な達成であるという考え方が
加藤氏には飲み込めなかったとのことです。




「家族が死んでしまうと、われわれはあのとき、悪あがきせずに父、母に
あっさり死んでもらった方がよかったかもしれないと、反省的に思う。
でもその反省が、死の間際の少しでも長く生きていてほしいと願う
クモの糸にもすがる非望よりも、賢いという保証など、どこにあるだろうか。


「庶民的」などといわれることの多い、普通の人の普段の考え方が、そんなに
浅いものではないのだぞと、私など言葉の人間の腰高さを打擲するように
吉本氏の言葉が働く」と加藤氏は述べます。

この記事を読んで
目の前の命への執着とはなんなのかが見えた気がしました。
そして医業の人達が向き合っているものの
意味がまた違った意味でうけとめられた気がしました。


自分の仕事なんて、とうてい人の「役に立つ」ことはないだろうけど、
自分のやっていること、自分が生きていることの意味を知りたいという
欲求からは逃げられない。
その、ひとりひとりのもがき苦しむ思索こそが人を人たらしめる
ものだろうと改めて思います。「役に立とう」と「意味あるものであろう」と
望むことに目を背ける必要はないのですね。

京都大iPS細胞研究所長山中伸弥教授のノーベル医学生理学賞 受賞のニュースを見て。