私の先生(3)山室雄幸先生
広島県安芸郡府中町府中中央小学校
山室雄幸先生
小学校三年生のときの担任をしてくださった先生。
あのころ何歳くらいでいらっしゃったのか40代か50代か。
自分が教員の道にすすむ直接間接のきっかけになった先生を思い浮かべると
何人かおられるが、そのなかで最初に思い浮かぶ先生である。
いまでいう読み聞かせをしてくださっていたのだが、特に椋鳩十の作品をたくさん読んで聞かせてくださった。
お上手だった。お話を聞くときのこどもの集中度が今考えてもすごかったような気がする。
読書の楽しみ、朗読の楽しみからいろんなことを教えていただいた。
初めての男性の先生で、父と同じくらいの年齢の先生だし、とても威厳があるのに威張らないでおちゃめなところもあった。
連絡ノートを書かせておられた。
日付、明日の授業の時間割、宿題、もってくるもの、などを
終わりの会で先生が口頭でお伝えになる。私たちはそれを耳で聞いて書き取るのだ。
そしてその最後に日記のようなものを書く。長くなくていいから今日あったこと、体験したことを書く。そして親のチェックをもらってくる。
それがきっかけになって、6年生まで日記を続けていたのだから、結構な教育効果があったと思う。
運動もお得意で、体育の授業はお手本を見るとほれぼれした。子どもが大人の
動作をみるので3割増しくらいにみえるのだが、それでも先生ってすごいと単純に尊敬した。
児童が少し集中力を切らしたときなど、よく「瞑目」といって
おへその前で親指と親指をあわせ、印を結ぶような形にして目をつむらせ心を落ち着かせる時間を作っておられた。
「メーモク」ってなんだろうかと思いながらやっていた。
4年生も持ち上がりで担任になるかと思ったらなにかの御事情で4年生は担任をもたれなかった。
とてもがっかりした。だからというわけではないのだが、4年生になって府中のご自宅に友達三人と遊びに行ったことがある。大きな平屋の建物だった。家では和服を着ておられた。
大きな家なのに借家だというのでびっくりした。我が家も長らく借家住まいでその当時も小さな家にすんでいたから、借家というのは狭くて小さいものだとばかり思っていて、こんな借家もあるんだと思った。
どうしてその三人で先生のお宅に遊びに行くことになったのかよく覚えていないが、今ならあまりそういうことはできないのだろう。
三年生のときが昭和50年。カープ初優勝もあって自分のなかではなにか基準になる年になっている。

<< ホーム