2020年2月5日水曜日

ふりかえり 2016.11.6 下関海響マラソン

先日の別大をみていて、なんとなく書いておきたくなった。
ちょっとしんどい時期を振り返って直視できるくらいにはなったか。
 50代のうちにはもう一回と思うが、もう厳しいかな。

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5:30 目が覚める 5:50起床
おにぎり1 バナナ1 ロビーの朝食サービス少し。ごはん・パスタ
トイレマネ完了 
怪我をしないことと、完走をねらう。
4'30/kmが守れればよしとする。
6:40出立、6:51 下関行

怪我をした瞬間に、ああ、今タイム狙いの追い込んだ練習ができなかったらもうきついな…と思ってどこか投げたような、ほっとしたような気分になっていた。それから2か月、やっては痛めての繰り返しで焦っていた時期をすぎると、もうあきらめ気分が表に出る。
いったん切れた気持ちはもうふわふわともとにはもどらない。

これではだめだとどんと走っては休みを繰り返す。仕事がちょっと立て込むと、集中しているときならどんなわずかな時間でも、意地でも走るつもりでやっていた。それができない。ちょっと予定が狂っただけで、ああもう今日はだめだ。ちょっと疲れると、もう今日はいいか…完全に負けているがそれを許してしまう。

練習量が足らないから体重もどんどん増える。ちょっと頑張って減らしたと思ったらすぐ食べる。間食がとまらない。62kg12%。体は完全にゆるいし重い。レースに間に合わないじきになってしまえばもうあきらめる。

直前に1kmのペース走をしてみるが3'50をねらったつもりでで4'08 4'10くらいのしんどさまでしかあげられない。計ってみたら4'30 これはもうサブ3,5いければ上出来と思うが、走る前はまだできると思っていた。筋力低下は著しく、レースでは前半4'30ペースが 後半もたなかった。足が止まる。気持ちも続かない。練習した、やることはやったという気持ちの支えがなければ無理だよな、だめだよな、と逃げやすくなる。ほんとは走れるのに足がつったような気分。止まれば足は固まるから再び走り出そうとすれば当然つりかける。足がつるのさえリタイヤの理由になりそうでちょっとほっとする。許されたように甘え、同じSブロックの歩いている人を見てもほっとする。情けないが戦意喪失。言い訳をさがしてプライドを保とうとする。情けない。歩いていることに罪悪感も悔しさもなくなってくる。

日頃練習もしていなさそうなランナーに抜かれても何も感じなくなる。収容バスが30kmにいる。よほど乗ろうかと思うが、乗っている人たちをみると惨めになってやはり歩いても完走だけはしようと思う。コールドスプレーをふけばかなり足がもどる。ちょっと走り始める。ながくながくつらいコース。ラスト10kmを1kmずつと思うが、もうコントロールする気力もない。ゆるゆるとゴール。なんとか4時間は切ったがあまり意味もない。

得るものがあったとすれば、もう二度とこんな思いはしたくないと思えたこと。それがいやならやるしかない。底をうった気持ちが上を向き始めたのを感じられたことくらい。